2013/7/17 水曜日

藁一本の・バブル

column — 長尾 @ 10:21:11

たまに年下の友人から

バブルの時ってどんなんでしたか?

と聞かれる事がある。

僕はバブルの時が高校生・大学生ぐらいだったけど、

あいにく裕福な思いをした記憶がない。

「イッツ・クリスマス」というバブリーなレストラン・バーの厨房でバイトした事はあるけれど、特に時給が良かったわけでもなかったしね。

親から外車を買ってもらう友人はいたけど、今思うとそいつらは、どうしようもない坊ちゃん達だ。

僕はバブルの恩恵を受けなくて、本当に良かったと思っている。

あれを経験した人達は今でもどこかズレている様な気がする。

また今でもバブルの時に戻りたいと思っている。

戻る所は、もうバブルじゃないだろう?

取り戻すって・・・さんざん奪ってきただろう?

boxer1.jpg

ブルータスの最新号で自然農の特集が組まれていた。

そして見開きのページに「藁一本の革命 」の福岡正信さんのコトが書かれていた。

僕が思う豊かさは、こういった自然と共に生きてゆく豊かさで、

売上競争至上主義のギラギラした生活じゃない。

戦い続ける、競争し続けるその先は・・・

また戦いと競争が待っているだけだと思う。

そして何もかも失ってしまう。

もしかしたらそれが、

人間の行き着く先なのかもしれないけど。



コメント (2) »

  1. 行平くん、わたくし、大学入学と同時に、バブルの真っ只中でありました。
    気かつくとスキー部でお揃いのウィンブレ着せられて、シーズン前には六本木やらお台場やらのディスコのパー券売らされて、その売り上げを合宿費に回していました。

    全国から集まってきた大学1年のクラスには地方から来た純朴さを残した女の子たちがいてくれてほっとしたのを覚えています。がしかし、日々日々変わっていくのです。服装が白から黒へ、化粧が薄いのから濃いのへ、アクセサリーやらバッグやらもキラキラジャラジャラブラブラブランド化へとなっていったのです。
    髪型もみんなソバージュやらワンレンだったなあ。

    確かに浮かれていたと言えば否定できない。
    でも、東京のど真ん中の若者でも、それを冷静に見つめている奴も確かにいた。
    ボクはどちらかというとその両方を行ったり来たりしていた奴だったように思います。
    専攻ももともと文学部の哲学系であったけれど、ゼミはマーケティングのところに越境したりしてたり。
    大学後も、広告代理店という風見鶏業界に務めながら、トイレ共同風呂なしの4畳半一間の下宿屋からゼファーに乗って誰に何を言われようと通っていました。

    60年代だったか、川端康成が赤坂のクラブに連れて行かれて、ずっと中空を見つめていた、というのが、バブル時代のボクの頭にいつも引っかかっていました。

    そして今、山と川と木々と田んぼと鶏やらに囲まれた暮らし。
    都会へなにかと出てゆく暮らし。

    軸足は大地、利き足は人、なのか….。

    でもこの頃、旅に出なきゃと思うのです。軸足もちょっと引っこ抜いて。

    その前にHP作らなきゃ!失礼しました。

    コメント by tabiki — 2013/7/30 火曜日 @ 8:28:02

  2. C REVO youtubeで見ましたよ。
    知っている内容がほとんどだったけど、
    やっぱり面白かったですね。
    バブルも今も経験しているから
    面白いのかもしれませんね。

    コメント by 長尾 — 2013/7/30 火曜日 @ 12:37:15

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